嘘魚(こざかな)


まえがき

2017年9月3日に発行した同人誌の再録です。
ウェディの初期村ストーリー冒頭部分を小説化した短いお話。


 五感が突然、蘇った。耳をくすぐるのは聞き慣れないがどこか心地の良い、規則的に波打つ水の音。頬を撫でる風には花の香りと、嗅ぎ慣れない不思議な匂いが混ざり合っている。唇を舐めるとほのかに塩のような味がする。そしてぼくは自分が息をしていて、体が動くということに気付き、恐る恐る目を開くと、そこには見たことのないほど鮮やかな夕焼け空が広がっていた。
 驚いて体を起こすと、ふわりと目の前に色とりどりの花びらが舞い上り、それと同時にどよめきが巻き起こった。
「ミヒル!?」
「あわわわ……ミヒルが化けて出たあ!」
「死んでなかったっ! ミヒルは死んでなかったよ!」
 名前を呼ばれて、ぼくの心は舞い上がった。
(誰かがぼくを呼んでる! エテーネの村に生き残ってた人がいたんだ!)
 ぼくは自分の名前を呼んだ声の主を探して辺りを見渡した。しかし、見知った顔は一つもない。見知った顔どころか、見知った種族……人間の顔すら一つも見当たらなかった。
 水面のように青い肌と、魚のようなヒレを持った人々。ぼくは生まれて初めて見るウェディたちに、驚きと喜びと恐怖の入り混じった顔で一心に見つめられていた。
 ウェディ。そうだ、思い出した。つい先程、ぼくが「もう一度この世に生まれる為に」自分自身で選んだ種族だ。今日、ぼくと同じこの日に不運にも命を落とした一人のウェディの身体を借りて、ぼくは生き返ったんだ。
 生き返った。つまりそう、ぼくは死んだんだ。冥王ネルゲルに殺されて。エテーネの民がどうのこうの、時渡りの術がなんのかんの、とかなんとかいう理由で。僕にとっては寝耳に水で、知らされなければ何も知らないまま、何事も無く一生を終えていたであろう、そんなよくわからない理不尽な理由で。
 一瞬にして記憶がぐるぐると駆け巡る。巫女アバ様の予言。テンスの花。焼き尽くされたエテーネの村。炎の中に一人で飛び込んでいった幼なじみ。目の前で消えてしまった、たった一人の大切な弟。
(全部、本当のことだったんだ。夢じゃなかったんだ。)
 瞬きして目の前の景色に意識を戻すと、相変わらず見知らぬウェディたちがぼくをじっと見つめている。ぼくは急にひどく心細くなった。心がぐらぐら揺れて、景色が遠ざかっていくような気がした。
 いや、気のせいじゃない。本当に揺れている。見つめるウェディたちの顔がどんどん遠ざかっていく。はっとしてぼくは初めて視線を落とした。やっと自分が小舟に乗せられ、水面に浮かんでいることに気付く。大慌てで舟底に敷き詰められた花の中に手を突っ込み、オールを探すが見当たらない。あれよあれよという間に岸が遠ざかっていく。ぼくは完全にパニックになっていた。慌てて動いたために、ぐらりと舟がバランスを崩す。あっと思って思わず目を閉じた瞬間、小さな衝撃と共に突然舟が安定した。
 こわごわ目を開けると、透き通るように青い水掻きのある手が、がっちりと舟の縁を掴んでいるのが見えた。ぼくは目をぱちくりさせて、その手の主を見上げた。黄金色の無造作にはねた長髪のウェディの青年が、屈んでぼくの顔を覗きこむように睨んでいる。その眼光の鋭さに、ぼくはサメに睨まれた小魚のようにすくみあがって、深い水底のような青い瞳をただじっと見つめ返した。
 青年がじろじろとぼくの顔を見ながら、ぶっきらぼうに言う。
「間違いねぇ。生きてやがる。まるで別の魂が突然身体に入り込んだみてえだな……。」
 一瞬の間の後、水面が揺れるように眼光がふっと和らいだ。青年の口元が安堵したように緩む。
 そして青年は目を細めて、優しくぼくに微笑みかけた。
 鳥の雛が生まれて最初に見た動くものを親だと認識する、それと似ていた。ぼくは、なんだか急にほっとして青年に微笑み返していた。
 わけもわからぬまま生き返り、見知らぬ人に囲まれて心細くて途方に暮れていたぼくに、この人は優しく笑いかけてくれた。たったそれだけのことだったけれど、ぼくのさざめき立っていた心は嘘のように静まっていた。そしてもう二度と灯ることの無いと思った火が、再び小さく灯ったようだった。冷え切った心を、小さな火はささやかに、だけど確かに少しずつ温め始めた。ぼくはこの瞬間にやっと本当に生き返ったような気がした。
 青年が舟を岸に向かって押し始めた。岸で他のウェディたちが見守っている。青年は腰のあたりまで水に浸かりながら、ざぶざぶと力強く水を掻き分けて、ぼくを岸へ、新しい人生へ向かって運んでいく。
 岸に辿り着くと、ぼくは慣れない新しい身体の扱いに手こずりながらも、青年の手を借りつつなんとか白い砂の地面の上に立ち上がった。
 立ち上がってみて驚いた。とても背の高い人だと思った青年の顔が、自分と同じ目の高さにある。改めてぼくは自分の新しい身体を見下ろした。持て余すほどにすらりと長い腕と脚。指の付け根に綺麗な水掻きが付いた手。肌は、青年と比べてやや緑がかった濃い青色をしている。ぼくはこの身体をとても美しいと思った。
 ウェディたちがみんなぼくの周りに集まってきて、改めてまじまじとぼくを見つめる中、青年が口を開いた。
「なんにせよオレは人殺しにならずに済んだって訳だ。」
 突然飛び出した物騒な言葉に驚いて、ぼくは青年の顔を見る。青年は不敵な表情でびしっとぼくに人差し指を向け、更に続けた。
「怪我させちまった借りはそのうちに返すぜミヒル。あのくらいでくたばらないようにもっと鍛えとけよ。」
 それだけ言うと青年はくるっと背を向けてキザに手を振り、びしゃびしゃと濡れた足跡を残しながら歩き去って行ってしまった。その後ろ姿を睨みつけながら、小太りのおじさんウェディが憤慨したような声を上げる。
「うぬぬヒューザめ、ミヒルを殺しかけておいて、なんという態度だ!」
 するとすかさずミニスカートの女の子ウェディが言った。
「お父さん、ヒューザを責めないであげて。半分は私が急に声を掛けたせいでもあるんだもん。」
 おじさんウェディはころりと態度を変えて女の子に言う。
「ルベカちゃんが気に病むことはないんだよ。ほら、ミヒルは無事だったんだし。」
 ぼくは会話を聞きながら、まだ少し混乱している頭で必死に状況を整理しようとした。
 つまりこういうことだろうか。ヒューザと呼ばれたあの青年が、ぼくのこの身体の元の持ち主に怪我をさせ、それが原因で身体の持ち主は命を落としてしまった。そして、この身体の元の持ち主の名前は、偶然にも僕と同じ“ミヒル”だった。
 そしてみんなは“ミヒル”が、つまりこの身体の元の持ち主であるウェディの“ミヒル”が、本当に生き返ったと思っている。“ミヒル”が生き返ったから、ヒューザは人殺しの罪を負うことを免れた。もしも、本当のことを告げてしまったら……もしぼくが“ミヒル”じゃないと知られたら、ヒューザは再び人殺しになってしまう……。
 一瞬のうちに残酷すぎる事実をたった一人抱えてしまったぼくに向かって、何も知らないおじさんウェディが振り向いて声を掛ける。
「まあなんにせよ、生きていてよかったな。シェルナーは予定通りお前とヒューザのどちらかから選ぶことにするからな?」
 何のことだかさっぱり分からなかったけれど、ぼくはそれを悟られないように努めて力強く頷いた。シェルナー。何やら聞き慣れない単語が出てきたけれど、なんとなくとても重要なことらしいということだけはわかった。ぼくはどうやらこれ以上無いほど面倒な状況に置かれているようだ。
「ミヒルの葬式は中止だ! みんなも家に帰った帰った!!」
 おじさんウェディの号令で、集まっていたウェディたちは一人また一人と去って行き、ぼくは一人その場にぽつんと残された。
 ぼくはほっと息をつく。とりあえずは、バレなかった。だけどこれから一体どうやってみんなにバレないようにやって行こう。
 そう、ぼくはもうウェディの“ミヒル”のフリを貫き通そうと決めていた。
 だってぼくは知っている。ヒューザがぼくを見て、本当にほっとしたような笑顔を見せたこと。服が濡れるのも構わず、真っ先に一人で舟に駆け寄って止めてくれたこと。あんな態度を取っていたけれど、きっとヒューザが一番“ミヒル”のことを大切に思っていたんだってこと。
 そして、もし本当のことを知られてしまったら、ヒューザのこれからの人生がめちゃめちゃになってしまうということも。
 ぼくはあのときヒューザの笑顔に確かに救われたんだ。たとえその笑顔が、本当はぼくじゃなく“ミヒル”に向けられたものだったとしても。だからぼくは、ぼくにできるせめてものことをしたい。どうせ一度は死んだ身だ。自分を押し殺して他人として生きてでも、ヒューザを守れるのならそれでいい。
 ぼくが他人の身体を借りてまで生かされ、果たさなければならないという使命が何なのかは、今はまだよくわからない。だけどとりあえず“ミヒル”のフリをしてヒューザを守るということが、ぼくの目下の使命になった。
 ぼくは決意を固め、ゆっくりと深呼吸をした。息を深く吸うと改めて感じるほのかな塩味と不思議な香りが気になって、ぼくは初めて後ろを振り返った。
 そこには見たこともない美しい景色が、何処までも果てしなく広がっていた。ぼくは息をするのも忘れてその光景を眺めた。エテーネの村と、その周辺の森と草原しか知らずに生きてきたぼくが、初めて見る海だった。絶え間なく聞こえていた水音は、寄せては返すさざなみの音だった。夕日に照り映えて、何処までも何処までも続く水面がきらきらと光り輝いている。
 ぼくが海の広さと美しさに圧倒され立ち尽くしていると、砂浜をサクサクと踏みしめる足音が聞こえてきた。振り返ると、純白の華やかな服に身を包んだ一人のウェディの青年がこちらに向かって駆けて来る。どうやら休む間もなく、さっそく次の嘘を吐かなければいけないらしい。
 ぼくはもう一度潮の香りを胸いっぱいに吸い込むと、知人を出迎えるにふさわしい笑みを無理やり作って顔に貼り付けた。

 「嘘つきは泥棒の始まり」という諺がある。
 まるでこの運命を予言するかのように、奇しくもぼくは二度目の人生を、盗賊という職業で始めていた。

《終》

あとがき

プレイヤーの視点をなるべく排除して主人公目線で書いてみたらだいぶシリアスになりましたが、実際のプレイ時はあまりの酷い死に様に思わず笑ってしまったのはいい思い出です。(そんなひどい)
だけど本当に葬儀が始まった時のヒューザのとても悲しそうな顔と、主人公が生き返ったときのほっとしたような笑顔のギャップにはグッと来て、何度も何度も飽きずに思い出映写機を見返しています。
「ヒューザ謝れよ!」とか「最低魚!」とか言われてしまうことも多い彼ですが、こんな見方もあるんだなあなんて思って頂けたらヒューザファンとして嬉しいです。

(※あとがきは同人誌発行当時のものです。)