ベラヌールの夜

「う~ん……寒いよぉ……」
 隣のベッドからパウロの掠れた呟きが聞こえてきて、眠れずにひたすら羊を数えていたミッヒは、がばっと慌てて跳ね起きた。パウロの体に恐る恐る手を触れる。温かい。
「さまんしゃ……」
 パウロがむにゃむにゃと寝言を言う。ミッヒはほーっと大きくため息を吐いた。心臓がばくばくと鼓動を打っている。
 このベラヌールの宿で、パウロがハーゴンの呪いを受けたのはおよそ一週間前のこと。つい数時間前まで、パウロは死の淵を彷徨っていた。ミッヒとサマンサが死者をも蘇らせる力を持つという世界樹の葉を探して持ち帰り、パウロはなんとか九死に一生を得たのだった。
 パウロにかけられた呪いはすっかり解け、何事もなかったかのように元気を取り戻したように見えたが、ミッヒの脳裏にはあの氷のように冷えきったパウロの体や、死を覚悟した虚ろな瞳、血を吐きながら息も絶え絶えに、二人に自分を置いて旅を続けるよう諭す震える声が焼き付いていた。
 あの日の晩は久々に泊まる宿の豪華さに浮かれて、三人はちょっとだけ贅沢に一人一室ずつ部屋をとって床についた。狡猾なハーゴンが同じ手を二度使ってくるとは思えないが、万一のことがあっては困るとミッヒが主張して、今夜はパウロがこれまで寝ていた部屋を移動し、この二人部屋で眠ることにしたのだった。パウロもやっと二人と再会出来たことが嬉しくて離れたくないらしく、喜んで賛成した。女の子なので一緒の部屋に泊まれないサマンサは、ふくれっ面で自分に割り当てられた部屋に入っていった。ミッヒは急にサマンサのことも心配になって、パウロを起こさないように足音を忍ばせ、そっと部屋を抜け出した。
 サマンサの部屋の前でミッヒはそわそわ行ったり来たりしている。ノックして起こしてしまっては悪いし、かと言って、いくら気心の知れたサマンサとはいえ、女の子の部屋に勝手に入って呼吸や体温を確かめるなんてとても出来ない。ミッヒがどうしていいやら途方に暮れていると、突然部屋のドアが開いた。
「うひゃぁ!?」
 ミッヒとサマンサは同時に小さく悲鳴を上げた。
「な、何してるのよミッヒ!」
 サマンサは慌ててネグリジェの上に羽織ったガウンを整えながら小声で尋ねる。
「そう言うサマンサこそ!寝てなかったのか?」
 ミッヒも小声で聞き返す。
「だって……心配で……。パウロはちゃんと寝てる?」
 サマンサが二人の部屋の方を見ながら言う。
「うん、大丈夫……大丈夫……のはず……」
 そう言ったもののミッヒはまた急に胸に不安が押し寄せてきて、大慌てで自分の部屋に戻ると、パウロの顔にそっと耳を近づけた。静かな寝息が聞こえてくる。ミッヒはまたほっと小さく胸をなでおろした。
「良かった、ぐっすり寝てるみたいね」
 突然耳元でサマンサの声が聞こえて、ミッヒは驚いて飛び上がった。
「ついてきてたのかよっ!」
「何よ、いいじゃない!」
「ここは男部屋だぞ!」
「いつもテントでは一緒に寝てるじゃないの!」
「それとこれとは別!」
 小声で言い合いながら、ミッヒはサマンサを部屋の外に押し出した。サマンサはぷーっと頬を膨らませて言う。
「私も一緒の部屋がいい!」
「だめだよ、おまえは!」
 ミッヒはお兄さん面してちょっと言ってみたかった台詞を言ってみた。するとサマンサの頭の上からぴょこんと尖った茶色の耳が飛び出して、サマンサは犬のようにうーっと唸った。
「もういいもん、ミッヒの意地悪!責任持ってちゃんとパウロを見ててよね!あと、私のことも心配してくれてありがと、ふん!」
 サマンサは子犬のようにくんくん言いながら自分の部屋へと戻っていった。そのしっぽの生えた後姿を見守りながら、ミッヒは思わず笑いそうになるのをぐっと堪える。あの分ならサマンサは大丈夫そうだ。
 ミッヒは静かに部屋に戻ると、改めてパウロの呼吸を確かめてから自分のベッドに潜り込む。僅かなやりとりの間にすっかり布団は冷えていて、ミッヒはぶるっと身震いをした。
「さむーい……」
 パウロがまた寝言を呟く。確かに今夜は冷える。身を縮めて眠っているパウロを、カーテンから漏れる月明かりが微かに照らしている。
「さむい……」
 パウロがまた呟いた。ミッヒははっとして再び勢いよく飛び起きた。カーテンを大きく開くと、月明かりに照らされたパウロの寝顔は、この一週間のうちにだいぶやつれ、案の定、眉間に皺が寄っている。ミッヒがそっとパウロを揺り起こすと、パウロはのそのそと起き上がり、寝ぼけ眼で辺りをキョロキョロと見回しながら、弱々しい声を発した。
「ミッヒ、ミッヒどこ?サマンサ……」
「ここにいるよ、パウロ、俺はここにいる」
 パウロはミッヒの姿を見るなり、ぽろぽろと涙を零してすすり泣き始めた。慌てて必死に涙を拭うも、後から後から流れ出てくる涙はなかなか止まらない。きっと怖い夢でも見たのだろう。ミッヒは何も訊かずにパウロの背中を優しくさすった。呪いに苦しめられていたパウロが、「寒い、寒い」と掠れた声でうわ言をうめき続けていた事を鮮明に思い出し、胸が締め付けられる。どうしてもっと早く気付いて起こしてやれなかったんだろう。
「大丈夫、大丈夫……」
 ミッヒは声をつまらせながら、パウロの背中をさすり続ける。パウロは鼻をすすりながら、震える小さな声で言った。
「サマンサには言わないで……笑われちゃう」
「笑ったりしないって」
「でも……泣き虫だって思われるの、やだ」
 パウロはすんすん鼻を鳴らしながらいじらしく言う。先ほどの子犬のようなサマンサの姿と重なって、ミッヒは思わずくすっと小さく笑った。
「わかったよ、じゃあこれも二人だけの秘密な」
 そう言うとミッヒはパウロの布団の中に潜り込んだ。パウロも残りの涙をゴシゴシ拭うと、布団に潜ってミッヒの隣に収まる。二人は顔を見合わせると、同時にぷーっと吹き出して、くすくす小声で笑いあった。
「サマンサには絶対に言うなよ?あいつヤキモチ焼くからな。さっきだって一緒に寝るって部屋の前で駄々こねてたんだぜ」
「えーっ、うっそだぁ!」
 パウロはけらけら楽しそうに笑う。
「これ言ったのも内緒な!」
 ミッヒも楽しそうに唇に指を当てて、わざとらしく「しーっ」と言う。暫くくすくす笑った後、パウロはふぅっと息をつくと、ゆっくり目を閉じながら言った。
「おやすみ……蹴らないでよね、ミッヒ」
「みかわしの服でも着て寝れば?」
 とぼけたことを言うミッヒにパウロは軽く蹴りを入れて、目を閉じたまま言う。
「ばぁか」
 ミッヒはちょっとふくれて口をとがらせながら言った。
「気をつけるよ……おやすみ」
 暫くすると、パウロはすーすーと寝息をたてはじめた。月明かりに照らされたパウロの穏やかな寝顔を見つめながら、ミッヒは小さく呟く。
「気をつけるけど……肋骨折ったらゴメンな」
 ミッヒはそろそろと慎重にパウロの体に腕を回すと、やっと安心して眠りについた。

翌朝ミッヒが抱きしめていたのは冷たい棺桶であった……。(完)

ミッヒ目線で一つ何か書きたいなぁと思い、某所で眠れないローレシアの王子のお話を読んでとても感動したことを思い出して、うちの三馬鹿だったら不安で眠れない時どう動くかな?と考えて書いてみました。
ダイレクト……非常にダイレクトですミッヒさん。慎みがありませんサマンサちゃん。うちには格好良い王子様やおしとやかな王女様なんていなかったんや……。
徹底的に仲良し兄妹で、三者三様に世話の焼ける連中です。
ロトっ子可愛いな……。(親馬鹿的なあれ)
格好良い三人もお馬鹿な三人も皆違って皆良い。と思います。

時系列とかちょっと説明すると、二人が世界樹の葉を持って戻ってきたのが早朝で、三人で一つのベッドにぎゅうぎゅう詰めになって昼過ぎまで眠り、その後はのんびり食事したりお風呂に入ったり。そしてその日の晩のお話がこれです。
ぎゅうぎゅう詰めで眠ったのと、夜のちゃんとした就寝とはやっぱり別物で、女の子は部屋分けましょうねという分別は一応ある三人なのでした。