戦うお姫様の話

 サマルトリア城の中庭の、花に囲まれた白いベンチで、青い旅装束に身を包んだ王子が、小さな可愛らしい王女に、手に汗握る冒険譚を話し聞かせている。
「王子は、身動きが取れません。このままでは魔物の攻撃が直撃です!絶体絶命の危機……!
 しかしそのとき、もう一人の王子が放った呪文が、紅蓮の矢となって魔物に襲い掛かったのです!あわれ魔物は黒焦げに……」
「すごーい!」
 きらきらと緑の瞳を輝かせながら、アリア王女はミッヒ王子の話に感嘆の声をあげた。
「それから?それから?」
 アリアが身を乗り出して話の続きを催促していると、兄のパウロ王子がひょこっと顔を出した。
「ミッヒ!支度済んだよ。そろそろ行こうか」
「あっ!おにいちゃん!もう行っちゃうの?」
「うん。もう用事は済んだからね。いい子にしてるんだよアリア」
 ベンチから立ち上がるミッヒを横目に、アリアはがっかりして肩を落とした。立ち上がると、兄のマントを掴みながら、上目遣いに駄々をこねる。
「もうちょっといたらいいじゃない…ねぇ、泊って行って?サマンサちゃんも…」
 援護を求めるように、アリアはチラっと兄の隣にいるムーンブルクの王女サマンサに視線を送る。
「ごめんね、アリアちゃん」
 サマンサは、申し訳無さそうにそっと優しくアリアの髪を撫でた。パウロがお兄さんぶってアリアをたしなめる。
「わがまま言うんじゃないアリア、旅を急がないといけないんだから。お前も早く世の中が平和になった方が嬉しいだろう?」
 そんな兄にアリアは語気を強めて反発した。
「ねぇ、じゃああたしも連れて行って!あたしだって戦えるのよ?あたしだってロトの子孫よ?」
「はぁ~またはじまっちゃったよ…」
 やれやれと溜息をつくパウロに、アリアはめげずに主張する。
「お願いお兄ちゃん、隣の町まででもいいわ。そこに着くまでにあたしだって役に立つって証明して見せるから」
「だめだよ、隣の町には行かないんだ。ルーラで遠くの町まで行くんだよ。そこでは魔物もここらとは比べ物にならないくらい強いんだ」
「遠くの町って、ルプガナ?ペルポイ?ねぇ、ペルポイの町は地下にあるって本当?お洗濯ものはどうやって乾かすの?あたし、歌姫のアンナさんに会いたいわ!」
 目を輝かせたアリアの口から、次から次へと言葉が飛び出す。パウロは呆れて、ミッヒを睨みつけた。
「ミッヒ~、アリアに余計なこと教えすぎだよぉ~責任とってくれよぉ」
 ミッヒはギクッとして、バツの悪さを誤魔化すように咳払いをした。
「ごほん…あ~…アリア王女…」
「ミッヒ君…ねえお願い、私邪魔しないから…」
 アリアがすがるようにミッヒを見上げる。
「アリア王女、一つお話を聞いて頂けますか?一人の勇敢な、戦うお姫様のお話です」
 ミッヒは真面目くさった顔になって、アリアをじっと見つめた。
 そんなミッヒの姿を見て、パウロはサマンサに目配せをする。
「僕たち、向こうで待ってるよ」
 サマンサも頷いて、二人はそっとその場に背を向けて歩き出した。
「座って下さいますか、王女」
 ミッヒは再び白いベンチに腰を下ろすと、アリアにも座るよう促した。
「はい」
 素直に隣にすとんと腰を下ろしたアリアに、きゅっと心臓を鷲掴みにされて、ミッヒはまたごほんと大げさに咳払いをした。
「とある緑に囲まれた美しい国に、一人の可愛らしいお姫様がいました。」
 ミッヒは頭のなかで話を整理しながら、いつものようにアドリブで話し始めた。
「お姫様は武器を持ちません。強い魔法も使いません。けれどもいつも勇敢に戦っているのです。」
「?」
 アリアはきょとんと不思議そうな顔をしながらも、口を挟まずにお行儀よく続きを待った。
「お姫様の住む世界は、残念なことに平和な世界ではありませんでした。恐ろしい悪の力が、世界中の人々を苦しめていたのです。
 お姫様にはお兄さんがいました。お兄さんはとても強い戦士です。お兄さんは遠い戦地に赴き、世界の平和の為に戦っています。お兄さんのように世界のために戦える強い人は、世界中探しても他には誰もいません。」
「……」
「お姫様は、お兄さんと一緒に戦うことは出来ません。いつもお城で一人、お兄さんの帰りを待っていました。」
 ミッヒの言葉に耳を傾けるアリアの目に、うっすらと涙がにじむ。
「それはとても勇敢なことでした。遠く離れた場所に大切な人を送り出すことは、とても勇気のいることです。
 見送りは、いつも戦いでした。お姫様はいつも笑顔でお兄さんをそっと励まして、戦地に送り出しました。
 お兄さんは、妹は安全なお城にいて、元気でいるのだと思えば、戦いに専念することが出来ると知っていたからです。」
 ミッヒは調子が出てきたように、どんどん話し続ける。
「さらにお姫様の戦いは続きます。お城で待っている間、お姫様は不安な日々を過ごします。でも、お姫様はいつも明るく元気に過ごしました。そうすれば、国の人々が安心してくれると知っていたからです。そして、国の人々が安心して、笑顔で過ごし、国が明るく平和であれば、お兄さんが戦地から帰ってきた時に、ほっと心が安らぐことを知っていたのです。」
 アリアは、およそ世界の何処かで魔物との壮絶な戦いが繰り広げられているとは思えないような、サマルトリアの青い空をのどかに流れて行く雲を眺めながら、じっとミッヒの話を聴いていた。
「お姫様はそのようにして、心の強さと優しさをもって、毎日勇敢に戦っていたのです。……これでお話はおしまいです、王女。」
 少しの間のあと、アリアがぽつりと呟いた。
「……私もそんな風に、強くて優しいお姫様になれるかしら」
 ミッヒは優しく微笑んで言った。
「もちろんなれますとも、王女。なんていったってアリア王女は、勇者の血を継ぐお方なんですから。」
「そうね…うふふ、だけど、私のお兄ちゃんもそのお姫様のお兄さんみたいに強かったら良かったのにな。そうしたら、私だってもう少し安心して送り出せるのに…お兄ちゃんって、頼りないから」
 アリアは少し寂しそうに笑い返す。
「いいえ、王女、とんでもない。私はいつも兄君をとても頼りにしておりますよ。」
「気を使わなくたっていいの。お兄ちゃん、いつも迷惑かけてるでしょ?」
(うう、アリアのやつ……)
 影でこっそり盗み聞きしていたパウロが、うめき声を押し殺した。隣でサマンサも笑いを噛み殺している。
「本当に頼りにしているんですよ。ほら、例えばルーラの呪文。私達の中でこの呪文が使えるのはパウロ王子一人です。キメラのつばさという道具もありますが、いつでも手に入るわけではありません。この呪文のおかげで、こうしてサマルトリアに寄ることだって出来るんですよ。」
「そう…でも、でも…戦いの時はどう?お兄ちゃん、弱くない?足手まといになったりしてない?」
 アリアはまだ納得行かないというように、しつこく尋ねた。
(むううう~っ)
 パウロが口を尖らせる。サマンサは必死で笑いをこらえている。
「おや、先ほどの冒険のお話はもう忘れてしまわれましたか?クライマックスの部分は?」
「えっ、あれって本当のお話だったの?」
 アリアが驚いて目を丸くする。
「そうですよ。兄君には何度も命を救われております。まっ、私が救ったことも何度もありますけどねっ!」
 ミッヒはふんっと鼻息を吐いて、ちょっと自慢を混ぜた。
「ほんとかなぁ~……」
 アリアは解せないという顔をして首を傾げて何やら考え込んでいる。
 痺れを切らして、パウロが二人の前に出てきた。
「ミッヒ!アリア!そろそろいいかい?待ちくたびれたよ」
「お兄ちゃん!あのね、あのね…」
 アリアは笑顔を作ろうとしたが、その顔はみるみるゆがんで、目に涙がいっぱいに溜まる。涙を隠すようにうつむいて、震える声で一生懸命に兄に伝える。
「あたし、もう一緒に連れて行ってって言わないから……、だから、ちゃんと、ちゃんと帰ってきてね。死なないでね、ミッヒくんとサマンサちゃんに迷惑かけちゃだめよ?風邪とかひいちゃだめよ、ちゃんと体も鍛えて…わっ!?」
 パウロが突然アリアをひょいっと持ち上げて、ぐるぐるとその場で回り始める。
「わわわ、おにいちゃんおろしてよーう!」
「そーれ、おまけにもう一回転!」
「きゃ~!!」
 アリアは叫びながらも、楽しそうにパウロの頭上でくるくる回っている。
「どうだ、お兄ちゃん力持ちだろう!お前が思ってるより強いんだぞ。そう簡単に死んだりするもんか。」
 パウロはアリアをそっと地上に下ろすと、最後にぎゅっと優しく抱きしめてから離した。
「お前はここに残って、父さんや国の皆を安心させておくれ」
「うん……」
 アリアは涙をぬぐって、きゅっと唇を結んだ。その横顔は勇ましく、勇者の血筋を思わせた。
「じゃあ……私たちは、これで……」
 ミッヒがまだ何か言い足りなそうに、名残惜しそうに、寂しそうに、アリアをチラっと横目で見ながら情けない声で言う。
(やれやれ、まったくしょうがないやつだな)
 パウロは呆れながらも空気を読んで、ミッヒを無視してサマンサに話しかけながら歩き出す。
「アリアちゃん、元気で。またね」
 サマンサも察しよくパウロに応じて歩き出す。耳はしっかりとそばだてながら。
「ミッヒ君……今日は、どうもありがとう。また、お話聞かせてね。」
「もちろんです、王女。王女がお話を聴いてくださると思えば、一層冒険にも熱がこもります……、あ、いや、もちろん世界の平和の為の冒険ですけれど」
 アリアは何故か、うつむいて黙っている。
「アリア王女?」
「ミッヒ君!頑張ってね!いってらっしゃい!」
 ぱっと顔を上げたお姫様は、目に涙を溜めながらも、輝くような笑顔だった。
「また、サマルトリアに寄ってね。きっと賑やかに迎えるから。楽しい国にするから。待ってるから、また来てね。」
「王女……ありがとうございます。私は……また、あなたのためにおみやげ話を持ってきますよ」
「私のために?」
「……は、はい。お話は、王女のために」
 ミッヒは顔を真赤にして目を逸らしながら言う。
「うふふ、たのしみにしてるわ、王子様」
 そう言ってアリアはくるっと振り返ると、城のほうに駆け出した。わっと声を上げたいのを堪えながら。涙が次々こぼれて、きらめきながら宙に消えていった。
 アリアの後ろ姿を見送るミッヒに、パウロが声をかける。
「いいかい、ミッヒ。もう大分遅くなっちゃったよ…うわぁっ!?」
 突然ミッヒがパウロを抱え上げて頭上でくるくる回し始めた。
「ばかみっひ!おろせー!」
 ミッヒはけらけら笑いながら、これでもかというほどパウロをぶん回す。
「わははは、パウロめ妹の前でカッコつけやがって!」
 パウロは負けじと声を張り上げる。
「そーいう君のほうがカッコつけてたろ!なんだいあの仰々しい喋り方は。お話は、王女のためにぃ~?」
「う、うるさい!別にいいだろ!アリアちゃんが俺の話を楽しみにしてくれるって言うんだからさ!」
 サマンサが突然、糸が弾けたように笑い出す。
「きゃはははは!もーだめ!おかしー!ミッヒのあの話し方ったら!パウロも!」
「なんだよサマンサまで!」
 と、顔を真赤にするミッヒ。
「えぇ、ぼくも!?何がおかしいの!」
 パウロが慌ててミッヒの頭上でじたばたするのを可笑しそうに眺めなから、サマンサが言った。
「ねえ、ロトの末裔がもう一人いてよかったわね。私アリアちゃんに会うととても元気をもらえるわ。アリアちゃんを安心させてあげるためにも、私達頑張らないとね。」
「うん、そうだな……」
 ミッヒはやっとパウロをおろした。向い合って神妙な面持ちの二人は、なんだか恋人同士みたいな変な絵になっている。
 パウロはミッヒの顔にチョップを食らわせた。
「ろりこん」
「あんだよー!このしすこん!」
「もうー!ばかやってないで、行くわよ!」
 ぎゃーぎゃーひとしきり騒いだ後、パウロが荷物を背負いなおし、両手を広げた。
「さ、つかまって!」
 ミッヒとサマンサが片手ずつ掴むと、パウロがルーラの詠唱を始める。
 そのとき城のバルコニーからアリアが叫んだ。
「お兄ちゃん!ミッヒ君!サマンサちゃん!いってらっしゃーい!はやく帰ってきてね!」
 三人は繋いだ手を大きく掲げてみせると、呪文の光りに包まれ、旅立っていった。

ベラヌール以降の、パウロもアリアをひょいっと持ち上げられるくらい逞しくなってきた頃の話です。
本当はこのエピソードは、アリアを抱き上げるのもやっとだったパウロがアリアを軽々と持ち上げている姿を、王様や城の人達が見て感激するっていう話として書くつもりでした(笑)