犬-Side Arthur

 ムーンペタの町外れ。路地裏から子供の声がする。
「きったねー犬!」
「死にかけてるよ」
「なー、こいつ解剖してみようぜ!」
「えぇっ、やだよう気持ち悪い」
 嗚呼、世も末だな。庶民の子どもなんてこんなものか。
 少年が二人、道の上に転がる毛皮の塊を、足や木の枝で突き回している。よく見るとどうやらその毛皮の塊は、汚れた茶色い犬のようだった。ぐったりして、鳴く気力もないのか、されるがままになっている。
 僕はこの胸糞悪い餓鬼共を少し脅してやろうと、近づいていって声を掛けた。
「ふーん、犬か。今買ってきた剣の試し斬りに丁度いい。ちょっとどけよ、糞餓鬼共。」
「う、うわあああ」
「待ってよー、置いてかないで!」
 僕が剣を鞘から少し抜いてチラつかせると、少年たちは怯えた叫び声を上げ、あっという間に走り去っていった。
 しゃがんで犬を覗きこむと、犬はじっと目を閉じたままピクリとも動かない。死んでしまったのだろうかと、僕が思わず手を伸ばすと、微かに呼吸で犬の腹が上下しているのが目に入った。
 僕は思わずその手をかざしたまま、犬に向かって回復呪文を唱えていた。こんな薄汚れた犬に情けをかけて、どうしようというのだろう。自分で自分に少し呆れながらじっと犬を見つめていると、傷の癒えた犬が目を上げて、くーん、と情けない鳴き声を上げた。
「お腹空いてるのかな……」
 僕は持っていた荷物の中から粗末な器を一つ取り出すと、その中にパンと水を入れて、犬の前に置いた。
 水でふやけたパンを夢中で食べる犬をぼんやり見つめながら、僕は遠い昔のことを思い出していた。
 あれは確か、僕が六歳の頃だっただろうか。僕は城内に迷い込んだ子犬を見つけて、誰にも見つからないように礼拝堂へ連れて行き、食事の時にこっそり取って隠しておいたパンを食べさせていた。何日かは隠せていたのだが、ある日とうとう父に見つかってしまった。
 僕はパンをくすねていたことを激しく罵られ、僕も犬も、杖で何度も打ち据えられて、犬は床にたたきつけられ、死んでしまった。そして僕も……
 突然頭上から、僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
「アーサー、何してるんだ?」
 僕はハッとして立ち上がった。ロイにあまり見られたくない姿を見られてしまったようだ。
「なんでもないよ。」
 咄嗟に気の利いた返しも浮かばず、少しバツが悪い。
「犬?餌をあげてたのか?優しいじゃないか。」
 腹の立つ笑顔で、ロイが言う。
「そうだよ、僕って優しいんだ。知らなかった?」
 少しやけくそ気味だったが、弱みを見せないように精一杯虚勢を張って返す。
「僕にももう少し優しければ良いんだけどな……」
 おっと、これは形勢逆転のチャンスだ。僕はしっかりと弱みに付け込んで切り返す。ロイの耳元に口を近づけて、囁いてやる。
「優しく、して欲しい?」
 途端にロイの頬が赤く染まり、慌てふためいて僕から数歩距離を取った。
「あ、と、とにかく旅支度は済んだんだよな。早く行こう!」
「何照れちゃってんの」
 畳み掛けてやろうとロイに近づく僕を、誰かがマントの裾を引っ張って止めた。
「ん」
 振り返ると、先ほどの犬が僕のマントを咥えて引っ張っていた。いいところだったのに、こいつめ恩を仇で返しやがって。
「あはは、懐かれたな」
 と、ロイが笑う。全く腹が立つ。ロイは、しゃがんで犬に話しかけた。
「付いて来たいのかい?駄目だよ、この先の旅は危険なんだ。」
「犬に言っても分かるかよ。おい、離れろ馬鹿犬。」
 僕はマントから犬を振り解こうとしたが、犬は食い下がって、なかなか離れない。僕はイライラして、片足をすっと後ろに引き上げる。
「あ、アーサー待っ……!」
 ロイが慌てて僕を止めようとしたが、僕は犬の側に置いてあった器を、思い切り蹴り飛ばした。
「次はお前を蹴るぞ!あっちへ行け!」
 犬はとうとうマントを離し、怯えながら後ずさった。僕は馬鹿みたいに犬に怒鳴りつけた。
「こんな町外れにいないで、教会の側にでも行けよ。親切な人が何か恵んでくれるだろ。」
「お、落ち着けよアーサー、犬に言ってもわからないって」
 さっき自分も犬に話しかけていたくせに、ロイが狼狽えたように言う。
 しかし、犬は返事をするように一つ大きく吠えると、屋根に十字架の付いた建物の方へ向かって走りだした。
「本当に教会の方へ向かったね……たまたまかな。」
 と、ロイが驚いたように言う。
「……あの犬」
 僕は走り去っていく犬の後ろ姿を見つめながら、不思議な感触を覚えていた。微かに、魔力を感じたような気がしたのだ。
「どうした?アーサー。」
「いや、なんでもない。」
 きっと気のせいだろう。犬の姿が見えなくなるまで見送った後、僕らはまた、次の過酷な旅路へと向かって歩き出した。
 道の上に、粗末な器を一つ残して。

ムーンペタでの一幕、アーサー視点。
文章だと何故か暗い過去ばっかり書いちゃうんですが本当はもっと心の底からゲスを楽しんでるゲスなゲスが描きたいでゲス。