リリザの宿で-Side Arthur

 僕がリリザの宿屋の談話室でぼーっと煙草をふかしていると、一人の男が僕に声をかけてきた。
「アーサー王子?君は、サマルトリアのアーサー王子だね?」
 月灯りを浴びる雪原のような銀色の髪、サファイアのような青い目。そいつが、僕が八年間憎み続けてきた男だということは、ひと目で分かった。僕はこの一週間、旅をしながら練り続けてきた、とっておきの台詞を彼に放つ。
「もしや君は、ローレシアのロイ王子では?いやー、さがしましたよ。」
 一瞬で、ロイの頭に血が上っていくのが分かった。色白な彼の頬に赤みがさす。
「なっ……!探したのはこっちだ!何故じっとしてないんだ?あっちへこっちへフラフラと……。どこかで待っていてくれたらよかったのに。」
 一週間前、同盟国であるムーンブルクが、邪神官ハーゴンの軍勢によって陥落したという知らせを受けた僕の父は、これはチャンスとばかりに僕にハーゴン討伐を命じ、碌な餞別も与えず、追い立てるように僕を旅立たせた。
 本来ならば僕と同じ勇者ロトの末裔である、もう一つの同盟国ローレシアの王子が来るのを待ち、二人で旅立つべきだったのだが、僕の父は何せ、僕の死を願っている。僕が一人で、どこかで野垂れ死にすることを期待して、城から追い出したのだ。
 そうしてサマルトリアを追い出されたにせよ、ロイ王子の言う通り、次の地で彼の到着を待つことも出来たのだが、僕は敢えてそれをしなかった。目的を果たすため、僕は優位に立つ必要があった。徹底的に彼を振り回す為に、僕は命の危険も顧みず危険な賭けに出た。彼から逃げるようにあちらへこちらへと転々と移動し、そして、いよいよ僕は今このリリザの町で、その目的を果たそうとしている。それは目の前に、手の届く距離にまで近づいていた。思わず笑いがこみ上げてくる。
「くくく……」
 僕が顔を上げると、ロイの戸惑った表情が目に入る。
「な、何がおかしいんだ。」
 僕はますます可笑しくなって、声をあげて笑った。
「あはは!」
「だから、何を笑って……」
「まあまあ。ここじゃ目立つし、部屋で話そうじゃないか。」
 そう言って僕が立ち上がると、ロイはのこのこ僕の後に付いてきた。これから僕が果たそうとしている目的のことなど、何も知らずに。

「ふう……」
 部屋に入り扉の鍵を閉めると、僕は気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと煙草の煙を吐き出した。
「……君、タバコなんて吸うんだな」
 ロイがぽつりと言う。僕が煙草を吸い始めたのは三年前だ。行商人からこっそり買い、僕以外の人間は誰も寄り付かないルビス様の礼拝堂で、隠れて吸っていた。大して美味いとも思わなかったが、どうしようもなく現実から逃れたいとき、気休めにはなった。
 僕は空を睨みながら、これからしようとしていることをぼんやりと考えた。ロイの性格を考慮してこの計画を練ってきた。だが、八年の間にロイも変わったかもしれない。僕自身がこの八年で変わったように。本当に通用するだろうか?
 迷いを断ち切るように、僕は声を発した。
「…で?」
 出来る限り無礼に。ロイの神経を逆なでするように。
「でって…なんだよ。」
 ロイが小声で呟いた。きっと、僕には聞こえていないと思っているだろう。
 僕は幼い頃、医者から難聴の診断を下された。父や継母が聞こえよがしに呟く僕を責める言葉の数々や、家臣達の無礼な囁きに、いちいち反応していては身が持たない事に気づいた幼い僕は、いつしか聞こえないふりを覚えていた。誤診を下されても、僕は気に留めなかった。そのほうが何かと都合も良かったし、むしろその誤診を僕は利用した。
 だが今は、もう聞こえないふりをする必要はない。僕は構わず言葉を続けた。
「話したいことがあるなら、そちらからどうぞって言ってるんだよ。」
 ロイは少し動揺した様子で、それでも下手に出て尋ねてきた。
「いや、あの、ちゃんと……どういうわけか話してくれないか?何故僕を待たずに旅立ってしまったのか。」
 わかりやすい。ここまでは、僕の計画通りに進んでいる。僕は畳み掛けるように無礼な言葉を投げかける。
「あー?怒ってる?」
 とうとう、ロイは怒りを抑えきれず、声を荒らげだした。
「さっきから何なんだ、その態度は!どういう状況かわかってるのか?ムーンブルクが陥落したんだぞ!何が、『いやーさがしましたよ』だ!悠長にも程があるぞ!」
 嗚呼、その台詞に言及してくれるとは。一週間練りに練った甲斐があったというものだ。
「あっはは、怒ってる怒ってる!」
 僕が笑い出すと、ロイは平静を装うことをかなぐり捨てて怒鳴る。
「何がおかしい!!」
 僕はすっと笑いを引っ込めて、吐き捨てるようにこう言い放った。
「君が一番怒りそうな台詞を考えながら待ってたんだ、これにして正解だったよ。」
「なッ……!?」
 ロイは思考停止したように、青ざめて黙りこむ。僕は畳み掛けるように言葉を続けた。
「どういう状況かって?わかってるさ、世界滅亡の危機だって言うんだろ。だからロトの末裔で力を合わせて世界を救いましょうっていう。」
 僕がロイの目を真っ直ぐ睨みつけると、ロイは狼狽えて視線を宙に泳がせた。少し震えた声で彼は僕に尋ねる。
「わ、わかってるなら……君も、来るんだよな?ハーゴン討伐の旅に。」
「はぁ?なんで?」
 と、僕はぶっきらぼうに答える。
「な、なんでって……君もロトの末裔じゃないか!」
「だったら何だよ?僕は世界なんて心底どうでもいい。」
 ロトの末裔。それが一体何だというのか。僕の母はロトの血を引いていたが、生まれつき体が弱かった。それでもこの世にロトの血を残すため、無理を押して僕を産み、そして命を落とした。ロトの血筋ではない父は、遺された僕のロトの血を疎んだ。再婚し生まれてきた、ロトの血を引かないごく普通の人間である王女を父は可愛がり、僕には時折暴力を振るった。
 僕は父が正しいと思う。ロトの血を引くものに厄介事を全て背負わせる、この世界は狂っている。
 ロイが頭を振って、また小声で言葉を零した。
「何を言って……君は……君は……本当に……サマルトリアの……?」
 僕は、その言葉にしっかりと答える。
「アーサーだよ。酷いなぁ、子供の頃に会ったじゃないか……忘れたの?」
「え!?」
 ロイが驚いて僕を見る。
「聞こえてるよ、ちゃんと。」
 僕はゆっくりとロイに歩み寄る。ロイは逃げるように壁際に後ずさった。
「なんで……君、難聴じゃ……?」
 僕は、ふーっと長いため息と共に煙草の煙を吐き出した。必死で聞こえないふりを通した、暗い城の日々が頭を過る。
「聞こえなければ何を言っても良いと思ってるんだね、君も。」
 僕は尚もロイに歩み寄り、壁際に追い詰める。
「そんなつもりじゃ……でも、本当に難聴じゃなかったのか?」
「ふっ、なんか、いつの間にかそういうことになってたんだよね。ほら、聞こえないふりって便利だろ?」
 秘密を一つ暴露して、僕はニヤッと笑う。煙草の煙が顔にかかるほど詰め寄ると、ロイは僕から目を背けて呟いた。
「嘘だ……昔のアーサーは、こんなんじゃ……」
 がしっ。僕は思わず右手でロイの顔を鷲掴みにして、ぐいっと無理矢理正面に向けた。僕から目を逸らすなんて、許さない。静かな怒りがこみ上げてくる。
 八年前ローレシアで開かれた、ロイの10歳の誕生日を祝う祭で、僕は初めて彼と出会った。
 僕はそれまで、勇者などというものはこの世に存在しないのだと思っていた。ロトの血を引いている僕自身に、特別なところなど一つもないのだから。だが、僕のその考えは彼の姿を一目見た途端に覆された。
 まるでそこだけが月光で照らしだされているかのようだった。彼がより濃くロトの血を受け継いだからなのか、それとも育った環境がそうさせたのか、とにかく、彼には子供ながらにして勇者の風格さえも感じさせる、何かがあった。彼は誰からも愛され、ロトの末裔であることを誇りにし、自分がこの世界の主人公だとでも言わんばかりの雰囲気を纏っていた。
 激しい劣等感に苛まれている僕の気も知らず、彼はその分け隔てない博愛を僕にも振りまいて、一層惨めな気分にしてくれた。それなのに僕は、僕の手を引いて前を歩く彼の後ろ姿から目が離せなかった。その手のぬくもりが、どうしようもなく暖かくて、ずっと触れていたくて、それが余計に悔しくて、惨めで、僕はそれから八年間、ずっと彼を憎み続けてきた。
 一体、彼が僕の何を知っているというのか。彼に僕の何が分かるというのか。
「ちゃんと見ろよ、僕を。昔の僕はどんなだった?あ?言ってみろよ。」
 僕は煙草を咥えまま、突き刺すように一言一言、ロイに言葉を投げかける。ロイは答えない。僕はじれったくなって、半分ほどの長さになった煙草を左手でそっと口から外し、火の着いた先端を、思い切りロイの頬に押し当てた。
「うああああっあづ……っう、うぅぅ!!」
 呻くロイの姿に冷たい快感を覚えながら、僕はロイの耳元にそっと口を近づけて、囁く。
「ホイミ」
 回復呪文が彼の頬を包み込み、癒していく。
「……ん……っ!」
 怒りとは別の熱が、ほんのりロイの頬を染める。回復呪文をかけられるのは、初めてか。それなら僕が優位に立つのに、非常に都合が良い。僕は少し安堵しながら、彼の弱みを突く言葉を投げかける。
「君は昔から変わらないな。相変わらず魔法も使えないんだって?確かにこれじゃあ、一人でハーゴン討伐なんて無理だろうね」
 そうなのだ。彼は勇者ロトの血を引いていながら、魔法の才能を一切引き継がなかった。魔法を習得しようにも、そもそも彼は魔力というものを持ち合わせていないらしい。一方の僕は一応だが、魔法を多少は扱える。僕が唯一、彼より優れていると言える点だ。ハーゴン討伐の旅をするにあたって、僕のこのなけなしの力も、彼にとっては喉から手が出るほど欲しいもののはずだ。
 まだ火傷のショックと回復呪文の感覚が抜け切らないのか、絞りだすような声でロイが言う。
「うっ……そうだ、僕一人の力では……だから……君も一緒に……」
 待ちかねた言葉に、僕は勝利が近づいていることを感じ、思わずニヤリと笑う。
「へ~、食い下がるねぇ。まあそうだろうね。必死だよね?君は世界なんてどうでもいいって訳にはいかないもんな。」
 ロイは更に食い下がってくる。
「き、君だってそうじゃないのか!?このままじゃ世界はハーゴンの手に落ちる。何処にも逃げ場はないんだ。すごすご国へ帰るわけにもいかないだろう!?」
 逃げ場、か。僕は既に逃げてきた。帰る場所は何処にもない。思わず少し本音を零す。
「はっ!国だって?笑わせてくれるな……あんな国……滅びてしまえばいいんだよ。ハーゴンは何故こっちを狙ってくれなかったかなぁ……」
 とうとう、ロイの目に涙が滲む。声を震わせ、情けない言葉を零す。
「うぅっ……君が何を言ってるのか、さっぱりわからない……」
「ふん。単純なことだ。」
 僕は俯いたロイの顎に手をやり、くいっと上を向かせた。いよいよ、核心に迫る。この賭けに負けたら、僕は死を選ぶ。僕はこの瞬間に、全てを賭けて来た。
 不思議と心は落ち着いていた。そしてついに、僕は切り出す。
「取引きをしようじゃないか。」
「取引き……?」
「君が僕の望むものをくれるなら、旅に同行してやってもいい。」
 ロイは縋るように、食いついてくる。
「君の望むものって……?」
 僕はロイの目を真っ直ぐ見つめて、言った。
「ロイ」
「……何?」
 飲み込めていない顔のロイに、僕は言葉を続ける。
「だから、ロイ。僕の望みは、君。」
「はぁっ!?ど、どういうこと……」
「こういうことだよ。」
 手っ取り早くわからせてやろうと、僕はロイの唇に、自分の唇を重ねた。
「んんっ……!う、アーサー、やめっ……!」
 柔らかな感触を楽しむ間もなく、僕は思い切り突き飛ばされていた。よろけて数歩、後退る。物理的な傷みか、拒絶された傷みか。突かれた胸を押さえながら、それでも僕は再びロイに詰め寄る。
「何?嫌なの?」
「い、嫌だよ!そんな……だって……」
 言葉を詰まらせるロイに、僕はわざと冷たく言い放つ。
「ふーん、じゃ、一人で行けば?」
「め、滅茶苦茶だよ、こんなの!!どうかしてる……!」
 喚くロイの目から、ついに涙がぼろぼろと零れ落ちてくる。泣くほど嫌か。それでも僕は、退かない。
「喚いたってどうにもならないよ。どうするんだい?早く決めてよ。」
「うぅ…っ」
 ロイは確かに誰が見ても、ロトの血を引く勇者だ。そう思わせるオーラが、彼にはある。しかし実際のところ、彼は如何せん世間知らずのお人好しだ。きっと、一人きりでハーゴン討伐の旅に向かうほどの気概は持ちあわせていないだろう。
 僕は、最後通告の言葉を彼に突きつける。
「世界を救うんだろ、勇者様?自分の体一つ賭けられない奴に何が出来るんだい?こっちも命を賭けるからには、覚悟の無い奴と旅は出来ないよ。」
 再び項垂れそうになるロイの顔を、僕はまた手でゆっくりと上に向けた。彼の目に、微かに諦めの色が浮かんでいる。僕は勝利を確信し、不思議と穏やかな気持で、言った。
「見せてよ……君の覚悟。」

リリザでの出会い、アーサー目線。
同じ話を二人のそれぞれの視点から書いてみました。
認識の違いが浮き彫りになって面白かったです。