銀の竪琴

銀の竪琴

 満月の光が広野に独り立つ男を妖しく照らし出している。漆黒の鎧に、血で染めたような赤いマント、竜のような大きな双角をあしらった兜を身に纏うその姿は、開けた草地の真ん中で異様な雰囲気を醸し出している。
 男は暫くの間夜風を楽しむようにじっと佇んでいたが、おもむろに旅道具を詰めた頭陀袋の中から、その異様な風貌に似合わない、繊細な装飾の施された美しい銀の竪琴を取り出した。
 男は竪琴を慣れた手つきで片腕に抱えるように構えると、右手の手袋を口で咥えて外し、腰のベルトに挟んだ。そして、男がそっと竪琴の弦をひとつ爪弾くと、妖艶な音色が夜の空気を微かに震わせる。男は目を閉じてその余韻に耳を澄ませた。夜闇の中に消えていく竪琴の音とは別のかすかな音、男とは別の生き物のかすかな気配が何処かそう遠くない場所で蠢いた。
 男は小さく笑うようにふっと息を一つ吐くと、目を伏せて静かに曲を奏ではじめた。
 その素朴な旋律は、男が生まれ育った山奥の小さな村で覚えたものだ。村の人々は畑を耕したり、草木の皮で籠を編んだり、楽器を奏でたりして、平和に暮らしていた。そんなのどかな村の中で、男は異彩を放っていた。
 大人が三人がかりで一日かけてやる畑仕事を、まだ若いその男は独りで黙々とこなし、半日で終わらせてしまう。畑を荒らして村人達を困らせていた大きな猪を独りで捕らえて来て、村人達を驚かせたこともあった。男は幼い頃から父親に剣技と魔法の知識を仕込まれ、村はずれの男の家のほうからは、時折剣と剣のぶつかる小気味良い音が響いていた。
 しかし男は、そんな村の暮らしに不満を抱いていた。どんなに剣術に秀でていても、魔法の知識が豊富でも、平和なこの村では何の役にも立たない。手合わせの相手といえば年老いた父親しかおらず、有り余る力を持て余した男は退屈していた。
 男が成人を過ぎた頃、世界は突然、闇に包まれた。悪の化身竜王が、この地の秩序を守る光の玉を奪い、ラダトームの城から王女を攫ったのだ。
 そして男はついに事実を知らされた。自分がかつてこのアレフガルドの地を救った、勇者ロトの末裔であることを。
 驚きは無かった。これまで持て余してきた、自分の身の内側から湧き上がる得体のしれない強大な力の正体を知り、男は納得して笑った。村の長老が語る、現実味のない夢物語のようなロトの伝説を適当に聞き流し、下された竜王討伐の命を二つ返事で承諾すると、男はすぐさまラダトームへと参じた。
 ラダトームで男が自分は勇者ロトの末裔だと名乗ると、誰も疑う者はいなかった。険しい山道すら物ともせず、常人の倍ほどの早足で闊歩し、魔物の死体を山と積み上げながら町へと下って来た男のその姿を見て、ラダトームの王も即座に納得した。そして男はついに王から正式な竜王討伐の命を受け、アレフガルドの地を救うべく旅立ったのだ。
 男にとってそれは、力試しをするまたとない絶好の機会にほかならなかった。各地で竜王討伐に必要な情報や武具等を集め、様々な魔物と闘っていくうちに、男の中に眠っていた力は目覚め、更に強さを増していった。
 だが、男はまだ不満だった。決して手応えがないわけではない。命の危険にさらされたことも幾度と無くあった。しかし、何かが引っかかるのだ。魔物は決して束になって男に襲い掛かってくることはなく、しかもまるで男の実力に合わせるかのように、男が力を伸ばすに連れ、徐々に襲い来る魔物も強くなっていく。出来過ぎているのだ。まるで誰かが意図的にこちらの力を試し、遊んでいるかのようではないか。なあ、竜王よ。
 男は曲の最後の一節を弾き終えると、伏せていた目をゆっくりと上げた。
 満月に照らされた草地に立っているのは、もう男一人では無かった。男の周りを取り囲む魔物達は皆一様にギラギラと目を光らせ、息を荒げて異常に興奮した様子だ。理性を失い今にも襲いかかってきそうな魔物の群れにも臆すること無く、男は落ち着き払ってその魔性の竪琴を丁寧に頭陀袋の中に戻すと、手袋をはめ直し、剣を抜く。
 鞘から解き放たれた剣先がギラリと光るのを合図に、魔物の群れは一斉に咆哮を上げ、男へ襲いかかってきた。
「そうだ、纏めてかかって来い。私も遊ばせてもらうぞ、竜王!」
 その男、勇者ロトの末裔ミヒャエルは、赤く輝く瞳にこの上ない戦いの喜びを湛えて、魔物の群れへと突進していった。

銀の竪琴で遊ぶ勇者とその生い立ちの話でした。
1主の鎧の色はなんか青より黒のイメージが強いです。

2016-05-19 挿絵追加